10月25日の第116回『法楽寺わらく読書会』は、
いつもの法楽寺くすのき文庫にて行うことができました。
『修身教授録』の第2部・第38講『置土産』を7名(冥界よりご参加の方々を含む)で輪読し、感想を共有しました。
今回は約40日ぶりの開催であり、また冒頭には小松庸祐上院もお越し下さり、近況をお話頂きました。
人間は一つの場所を去る場合には、
後に残った人たちに多少でもお役に立つような、
何らかの置土産をしていくという心がけが、
平素から必要ではないかと思うのです。
人間の言葉が真に力を持つのは、
必ずしもその言葉自身が立派だというのではなくて、
その言葉を支えている背後の生活によるのであります。
してみれば今諸君らの生活が、真に深く、
かつ内面的に大きかったならば、諸君らの精神は、
必ずや後に来る人々のために、一種の置土産となることでしょう。
しかしながら、われわれ人間として最大の置土産は、
何と言っても、この世を去った後に残る置土産だということを忘れてはならぬでしょう。
われわれが生涯をかけて、真に道を求めようとする態度は、
実にこの一点に対して、心の眼が開けかけて来てからのことだと言ってもよいでしょう。
このような森信三先生の言葉に対して、
「この講義録も次回で一冊を終えるが、
これは昭和13年、実に86年前の講義である。
森信三先生のおっしゃる、『成形の功徳』によって、この置土産が遺され、
今の我々が恩恵を頂いていると改めて感じた。」
「生きるということは、先人や同時代を生きる人々の置土産を頂く毎日である。
また同時に、縁ある人々や次世代に置土産を残す日々でもある。
尊敬する尾崎咢堂先生のように、良い置土産を残せる生き様でありたいと思う。」
「死んだ後にどのようなものを残せるか、ということを考えさせられた。
やはり良い影響を与えて去って行きたいと思う。
真摯な心で日々の生活に向き合っていきたい。」
などといった意見が出されていました。
続いて、全一学ノートW章『生命の相即』のうち、
「絶対無即絶対有」「時・空の問題」のミニ輪読会を行いました。
意識主体の絶対的根底は、
即ち「見られる自己を見る自己をさらに見るもの」の謂いだと言ってよい。
それはいわば絶対に客体化せられぬものとの言いである。
これその「絶対無」などとよばれるゆえんである。
ここにわれわれ人間は、かかる「根源物質」と「絶対無」との相即的一如性を、
現前の一行為を通して信証しうるとも言えるであろう。
真の「絶対無」とは、むしろ「創造的無」という方が、真に近いと言えるのである。
境内には涼しい風も吹き、ようやく秋の深まりを感じる読書会となりました。
次回開催は、以下の通りです。
日時:令和6年12月13日(金)14:30〜16:30
場所:法楽寺くすのき文庫
内容:「修身教授録」第2部・第39講「わかれの言葉」輪読会
「森信三先生全一学ノート(新版)」ミニ輪読会
参加費:1.000円
※初めてご参加頂く方は、準備がございますので、
前日までに下記にお名前、ご連絡先をお知らせ下さい。
《ご予約・お問合せ》
メール:mai@wadentou.com
пF090−4975−4000(後藤)
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